この講演録をまとめるに当っては講師の金原瑞人先生のご了解を得て作成いたしました。なお文責については、長野県図書館協会にあります。 無断転載引用を禁止します。 |
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演題 「言葉の翻訳、翻訳の言葉」 講師 金原 瑞人(かねはら みずひと)先生 翻訳の話をしようと思いますが、その前にヤングアダルトについて少しお話します。 翻訳は20年前から始めて、ヤングアダルト(青春小説)を訳し始め、朝日新聞で「ヤングアダルト招待席」という中高生向けの本を紹介するコーナーを受け持つようになりました。当時はヤングアダルトを知る人はいない、ファンタジーもSFも売れなかった時代でしたがヤングアダルトはそこにも入れてもらえなかった。時代は変わり「ハリーポッター」の流行でファンタジーが売れる時代になり、ヤングアダルトという言葉が飛び交う時代になった。 80年代初めのコバルト文庫は富島健夫、川端康成や伊藤左千夫等多彩な顔ぶれでした。翻訳物としては、アメリカやイギリスのヤングアダルトの翻訳物もあった。スーザン・E・ヒントンの『アウトサイダーズ』から始まる『ランブルフィッシュ』のようなシリーズ、『レイプの街』というような問題小説といわれるものがヤングアダルトと銘打ってコバルト文庫に入っていたが、ヤングアダルトは90年代に至るも定着しなかった。 そのころ、森絵都が『リズム』『ゴールド・フィッシュ』、佐藤多佳子が『サマータイム』でデビューしたが売れなかった。しかしここ6,7年ヤングアダルトという分野に注目が集まって売れるようになった。森絵都、あさのあつこも売れるようになった。芥川賞の伊藤たかみと、三浦しをん、森絵都という3人そろって、ヤングアダルトの作家という時代になってきました。今なぜヤングアダルトなのか、それは、いい作品が出て、いい翻訳がされて、地道な活動が日の目を見てこれはヤングアダルトは面白いジャンルということになったのだろうと思います。 去年『12歳からの読書案内』という本を出しました。これは僕が監修したもので、何人かで、面白いと思われる本を100冊ほど紹介した本です。新しい作家の新しい作品を中心に揃えてみた。子供向けのブックリストをみると、半分から3分の2くらいは知っている本が多い。それらは名作であり読み継がれてきて間違いない本ではあるが、僕のなかでは終わっている本だ。いけないという意味ではなく、ワクワクぞくぞくしないという事です。 もう少し分かりやすく言うと、ロバート・ウェストールの『かかし』と『ブラッカムの爆撃機』という本が復刻になった。これらが出た80年代90年代のころには新しい作品が出るたびにワクワクして読んだが、今ウェストールの作品が発掘されてもワクワクしない、ちょっと距離が離れてしまった感じがする。 それをYA(ヤングアダルト)の話に置き換えてみると、80、90年代なぜYAが根付かなかったかというひとつの理由として、当時日本では漫画がその肩代わりをしていた。例えば、吉田秋生がいて、岡崎京子がいて、内田春菊がいて・・女流のいい作家がいた。こういう漫画家が若い読者をしっかり背負って、ワクワクぞくぞくする本を出していた。今吉田秋生や岡崎京子が新しい本がでてもわくわくしない。少し距離が離れたと思う。 おそらく80、90年代の若者がワクワクして漫画を読んでいたような気分で、今、若者達や20代、30代の女性が、そういった新しい、たとえば江國香織、川上弘美、森絵都、三浦しをんなどの作家の作品、あるいは男性作家でいうと、伊坂幸太郎、乙一などの作品がでるとワクワクして買っていると思う。 ということで、去年出した『12歳からの読書案内』を編集するときに考えたのは、今読んでワクワクぞくぞくする作品を集めたいという事でした。この10年以内に出たような良い新しい作品を選んでみたのです。『12歳からの読書案内』は賞味期間5年間、せいぜい10年間と思っています。それ以降は通用しなくてよい、とにかく今の若者に読んで欲しいと言う思いで作っています。図書館の司書の方に「知らない本がたくさんあってよかった」といわれるが、一番旬な作品を集めてみました。 大人が何かを子どもに進める場合、どうしても後手後手になってしまうということがあります。この間赤川次郎が、エッセイで「自分が一番売れた頃、学校図書館はほとんど入れてくれなかった、悪書の部類に入っていた。やっと今になって、図書館へ入れてもらえるようになって嬉しい。結局自分が書いたものを若い頃に読んだ人が、今大人になって先生になりやっと入ったのだ」と書いている。 それは那須正幹も同じで、「ずっこけ」が出たときには、あんな中身のない面白いだけの本を子どもに読ませるべきではないというバッシングがあったのはご存知だと思いますが、今や、それで育った人が先生になって小学校の図書館へ入っている。しかしそれでは遅い、それを読んだ人がもう大人になっているのですから。じゃ、今の小、中、高校生は何をワクワクして読むのだろうかと思って、『12歳からの読書案内』を編集してみたんです。今の若い人がワクワクして読めるものを大人が一緒に楽しめるとよいと思う。彼らが大人や先生に向かって、こういった本が面白いよと勧めてくれても良いかなと思っています。 もうひとつYAに関してお話したいことは、海外小説が読まれなくなりつつあるということです。僕の中高の頃は翻訳者が頑張っていて、海外物を読んでいるとカッコ良かった。特に若い人に海外物を読んで欲しいので今後『12歳からの読書案内(海外編)』を出します。 海外物は若いときでないと読めない。気力と体力と想像力がある時でないと辛い。なぜかというと、そもそも固有名詞が覚えられない。ミステリーで登場人物を書いてある裏表紙に戻りません?そもそも、姓か名かもわからない。男か女かもわからないんですよ。そうなると記憶力がある程度必要になる。地名も難しい、ミルウォーキーで雪が降ると言ってもミルウォーキーとはどこなのかわからない。年を取るとともに気力と想像力が低下し、若いころ仏文を読んでいた人が池波正太郎を読むようになったりする。海外物を読んでいた人間が和物に行く軌跡は、まず江國香織のような現代物へ行き司馬遼太郎、池波正太郎で落ち着く。見事にそれを追っている人がいかに多いか。 僕もそうで年を取ると洋画を見るのも辛くなる。大体顔がわからなくなる。ビデオで2、3回見て、そうだったんだと思い当たる事があって辛い。海外物はトンカツ、年を取るとヒレカツ、若いときには、若いときに食べられるものを食べろということです。皆さん若い人に海外物を勧めてください。『12歳からの読書案内』の海外版で、あらすじを読んでみてください。いかに世界が広いか、海外物は読むたびにこんな話があるのかという驚きに満ちています。日本人には絶対書けないという作品がごろごろしています。日本人離れしたものでもしっかり感動が伝わって驚きであり喜びです。 ◆◆◆ 翻訳の話です。翻訳は横のものを縦に直すと言われます。それだけかと思われる方も多いと思いますが、横を縦に直すと困った事がおきます。進行方向が変わるのです。横書きというのは、進行方向が右。日本語の本は、進行方向が左。目の追っていく方向が異なる。 ページの開き方も違う。英語の本は左開き。日本語の本は右開き。挿絵が入ると大きな問題が出てきます。英語の本で、「主人公のトムは学校へ向かって走り出します。」という挿絵があったとすると、トムは右へ向かって走る。これが日本語の本では、太郎は左へ向かって走ります。これが絵を描く上での基本になります。そうすると、英語の挿絵のある本を日本語にそのまま写すと反対方向になり、戻ってくる事になってしまう。左右に動きのあるものはどうするかというと、写真を左右反転させます。 反転させればよいかというと、そうでもない。ポピーというしろあしねずみのファンタジーを訳したとき、ポピーは左耳にピアスをしているのだが、反転させると右になる。本文には左耳にピアスを一つだけしているとある。まずい、どうしたか、訳文を変えよう、「ポピーは片耳にピアスをしていました。」これでOKですね。 いつでもこの方法が使えるわけではない。例えば、『アーサー王物語』5ページでは右に剣をもっているのに、12ページでは左に剣を持っている、子どもが見るとアーサー王は右でも左でも剣を使えると思ってしまう、これは困る。また、時計があると大変。文字盤が逆になってしまう。こういうことは、挿絵の入っている翻訳物には良く起こります。 『星の王子様』は去年7、8種類の訳が出ました。これは作者が死んで50年経ち版権が切れたから。2種類横書きの翻訳が出ました。縦書きのものと横書きのものを比べてみると面白い。始めのページの王子様はうつむき加減で読者の方を見ている、これをそのまま使って日本語の本にすると、王子様はそっぽを向いている。印象が微妙に違う。星の王子様に関しては1枚も左右反転させていませんから、ところどころそういう違和感があるのです。 『ひとまねこざる』というロングセラーがあります。10年以上前は縦書きでした。10年くらい前にやっと横書きなった。今横書きだから原書そのまま。縦書きのものはおさるさんが逃げていると、サルがこっちに来ているじゃないかと突っ込みたくなる。反転させているページもあって今読み直すとちぐはぐ。もうひとつ、ひとまねこざるがスパゲティを食べている挿絵が10年以上前では、スパゲティがうどんになっています。 横書きと縦書きというのはこのように面白い問題を含んでいます。 物によっては、英語で翻訳できない漫画もあるわけです。例えば『巨人の星』、彼はサウスポーですから、ダメなんですよ。左右はっきりしているものは翻訳が不可能です。漫画は全部左右反転ですから、荒いものでは文字盤はひっくり返っているし何より、ほとんどの人間が左利きになっているんです。 分かりやすいのが、大友克洋の『AKIRA』という作品がアニメにもなって海外でも評判がよかったのですが、大友克洋は力を入れてアメリカ版を作っています。日本では『AKIRA』は白黒ですが、アメリカ版はカラーにし左右反転させています。漢字で「動かす」と書いてあるものを反転させると漢字はひっくり返ってしまうところをちゃんと書き換えてある。不自然でないように作ってある。左開きの『AKIRA』を講談社がさらにそれをまた輸入して、横書きの吹き出しをつけてカラーバージョンで出しました。これは、ほとんど全員ピストルは左です。殴るときも左手で殴る。アメリカの子どもがあれを見ると日本人て皆左利きだと思うかもしれません。 このような状況が10年くらい前から変わってくる。最近の翻訳を見ると、ひっくり返さなくなっている、開きは右開きのまま、吹き出しだけが横書きになっている。この流れをつくったのは鳥山明だといわれています。『ドラゴンボール』がドイツで出版されたときに鳥山明は強行に左右反転させないと言ったんです。なぜかというと、文字が左右ひっくり返るのは問題だが、おそらくもう一つは、左右反転させると微妙に絵が狂う。本人にとっては気持が悪いのだと思います。ドイツでは『ドラゴンボール』がベストセラーになった。この段階から、それでよかったんだということで、反転させる必要がないということになった。それ以降、右開きのままというコミックが定着してきている。例えば『NANA』の英語バージョンは右開きです。という時代になった。高橋留美子の『らんま』はまだ左開きだったかなあ。数年前にアメリカで少年ジャンプのアメリカ版が出たのですがこれは右開きです。 それまで当たり前だったと思ってきたことも変えてみれば、それでOKね、という面白さが言葉にはあります。戦前までは日本では絵物語や絵本は全部縦書きだった。翻訳物も縦書き。戦後しばらくして、福音館などが翻訳物で横書きのものを出し始めるんですね。そのときに、日本語は縦書きのものだ、という批判がありましたが、結局定着するわけです。日本の絵本作家もほぼ9割以上横書きで書くようになりました。案外変わるものだという気ががします。 翻訳物に限っては横書きの方が自然。楽譜が入ってくると縦書きでは入れようがない。横書きは数式ともなじみが良い。『ブリジット・ジョーンズの日記』はロンドンが舞台で30代の女性のコラムニストが主人公なのだが最初翻訳物が出たときに縦書きだった。今時日本人で日記を縦書きする人、います? いても少数派だと思います。日本人でも日記を横書きにつける時代だというのに、ロンドン在住の30歳の女性が縦書きで日記をつけるかというつっこみがあってもよい。 全部横書きにしろと言っているのではないが横書きの小説があってもよいと思う。実際横書きの小説も出ている。水村美苗の『私小説』という作品は横書きで良い小説です。福永信の『アクロバット前夜』という横書きの面白い小説があります。これは読み方が変わっていて、1ページ目1行目を読むと2ページ目の1行目へ行きずっと1行目を読んでいく。 韓国は戦後ハングルになった時点で横書きになりました。ハングルは書き言葉、アルファベットです。韓国は昔は漢字文化です。ハングルは500年くらい前にできた文字で、李朝の名君と誉れ高い世宗(せじょん)という王様が、韓国の書き文字はわかりにくいから、もっと合理的でわかりやすいものを作ろうとしてモンゴルの文字をお手本にハングルを作ります。しかしハングルは普及しませんでした。その後500年眠っていたのですが、19世紀末から20世紀、民族自決運動の機運が高まってハングルが見直されます。しかし侵攻した日本が禁止弾圧します。戦後日本が引き上げてからハングル熱が再燃して、まず北が、そして南が正式な標記方法として用いるようになりました。いきなりハングルになってしまってよいのかと思っているうちに定着しました。しばらくは混乱があっても慣れるということだと思います。 現在、日本と台湾くらいしか縦書き文化は残っていませんが、日本も横書きが浸透してきている。「あおぞら文庫」をご存知ですか。版権が切れた有名な作品をネットに無料に載せている。これをプリントアウトアウトするとき、縦書きに直してプリントアウトせずに、横書きのままプリントする人が増えている。そうなると横書きと縦書きの本質的な違いというのは何だということに結局なってくる。僕はそこに本質的な違いがないといっているのではなくて、みんな横書きになりつつあるよね、ということです。教科書も国語の本以外は皆横書きですよね。 言葉、特にしゃべり言葉は明治以降、どんどん変わっています。標準語を明治政府が作って、そのときからいっぺんに変わってきます。言葉は短期間に変わるものではないと思いがちだが、変わるときはころっと変わってしまう。 面白さと恐ろしさがあると痛感するのは、明治です。前島密が幕末に漢字廃止の儀を奏上している。当時の意識の高い人は、日本を西欧の先進国に近づけることを必死に考えていた。大きな問題として日本語の問題があった。西欧は26文字から30文字のアルファベットでほとんどの標記をできるのに対して、日本語はいろは56文字に2000文字以上の漢字がある。漢字を使えることこそが特権だと思って使ってきたがそれでよいのか、という思いがあって、前島密はしつこく漢字をやめようと言っている。福沢諭吉もそれに賛成している。 西欧に追いつけ追い越すためには日本語を何とかしなければ、多くの漢字を覚える労力を他の分野に向ければ効率的に勉強できると考えた。そのときに出てきたのがローマ字論、アルファベットで日本語を表記できるのだから、ローマ字にしちゃおう、という発想でした。福沢諭吉はこれもOKと言っている。あの時ローマ字に変わっていてもおかしくなかった。初代文部大臣の森有禮は日本語をやめようとも言っている。当時の人にとってみれば西欧の文化を日本に早く取り込んで富国強兵を目指していたので、日本人が英語で暮らすようになれば、日本語を英語に翻訳する手間が省ける、ということだったが賛成が得られなかった。そういう時代があった。 結局英語にはならなかったが、日本語に対するコンプレックス、アルファベットに対する憧れは後を絶ちません。第2次世界大戦後の国語審議会で、「森有禮の日本語英語論を引き受けていたならば、このようなおろかな戦争は起きなかったであろう、日本語そのものに問題があるのではないか、私はフランス語にするのがよいと思う。」と言ったのが志賀直哉です。 つい数年前、英語を公用語にしようと言ったのは、我々ですから、それを笑えないという気がします。日本語に対するコンプレックス、アルファベットに対する憧れは何らかの形で表面化してきます。やがて気がつくと日本語がドイツ語になっていたりするかもしれません。言葉って微妙なものでころっと変われば変わったで定着してしまうんですね。 言文一致運動にもたらした影響は、国語の教科書が大きかった。尋常小学校の教科書が口語を書きことばとして使う事にしたことが大きかった。全国統一の教科書を作り、標準語を作った。江戸時代の幕藩体制ではその地方の言葉のままでよかった。中央集権国家になるとばらばらの言葉を話していては不都合。結局全国統一した教科書ができた。特に軍隊は、命令を伝えなければならないから言葉の統一を一番必要としていました。 ◆◆◆ 日本語と英語の翻訳について話します。 英語で最初に「I」はと出てくると、この「I」は男か女なのか、年寄りなのか若いのか、もしかするとこの「I」は猫かもしれない、犬かもしれない。読んでいくうちに子どもだとわかったりする。お母さんが「ジェーン」と呼んだりして始めて、この「I」は女の子だとわかるわけです。 中学2年の教科書に載っている『ゼブラ』という短編集の中にB・Bという小学生が主人公の話があります。お母さんは出産まじかで病院に担ぎ込まれて生まれてしまう、B・Bという子はお父さんに連絡を取ろうとして出張先などお父さんの連絡先に電話をするのだけれども繋がらない、ふと寝室でいつもお父さんが持っているボイスレコーダーがこれ見よがしにおいてあるのを見つけた。お父さんからお母さんに宛てたメッセージで、聞いていくうちにどうやらお父さんは帰って来ないということがわかってきます。同時にこの半年くらい、あんなに仲の良かったお父さんとお母さんが、すごいケンカをしていたということを思い出した。それは自分の弟の死が関係しているらしい。その死因は遺伝病で、弟が死んだ時お父さんはとても悲しくて気が狂いそうになった。あのような経験をするのはもういやだから絶対子どもは作らないと言ったのに、お母さんは子どもがほしくてだまして作っちゃった。お父さんはもしまたあのような悲劇がもう一度起こったら、自分は気が狂ってしまうかもしれない。私はこの家にはもう戻らないから、このことはお前からB・Bに伝えてくれ、という奥さんに宛てたメッセージをB・Bが聞いちゃう。ここでB・Bはどうしようかと思うのですが・・・この話を聞いて、B・Bは男だと思って聞いた方? 女だと思って聞いた方? はい、これは女の子なのです。原作でも女の子であることは最後までわからないようになっています。 こういう風な話し方をすると男と女の決定的なものは何もなく最後まで読んでわかる、これが英語の面白いところで、日本で私が訳してしまうと最初から分かってしまって、最後のトリックのような面白さがなくなってしまう。こういうことが日本語でできるかというと難しい。大人ならわたしと書けば男でも女でもよいのですがこれは小学生ですから、最初から僕、私の話になってしまって、英語の面白いニュアンスが結局伝えられなくなってしまうという恨みがあります。 「I」が一つしかないというのはそういうことなんですね。大統領であってもお父さんであっても自分のことは「I」と言い、相手が大統領であってもこどもでも、「YOU」と呼ぶわけです。へんな言葉ですよね、我々から見ると。 「I」を日本語でどう訳すかというのは難しいことです。で、主語を削ってみたりする、例えば、『宝島』という本を訳したのですが、ジムという少年が海賊を相手に冒険をするという本ですが、このように始まります。「もうあれから随分経つので、もう書いてもよいと皆に言われたから書いた」とある、ここで問題になるのは、「あれから」何年経ったのかがわからない、20年か30年経っていればいいおじさんだし、50年経っていればおじいちゃんです。おじいちゃんなら「わしは・・」でしょうし、少女だったらわたしかもしれない。何年後から書き始めたかわからないから特定できない。 英語はこういうことを一向に気にしない、どっちにしろ「I」ですから。翻訳物を調べたら半分は「私」半分は「僕」となっていた。ではというので僕も私もなしで、主語を削って訳し始めてみた。8ページ目にいきなり僕が出てくる。なぜかというと疲れたんです。大変なんです。『ジャックと離婚』というミステリーを訳したときは600枚位だったのですが、私も俺も使わなかった。非常に苦労しましたが、書評では誰もその事には触れていませんでした。ちょっとさびしい気もします。 蜷川幸雄という演出家が面白いエッセイを書いています。彼は小谷野敦という文芸批評家の文章が好きなのだが、小谷野敦が「30過ぎて何が僕か」とエッセイに書いていた。蜷川さんは常日頃自分のことを僕と言っているのだが、文芸評論家のエッセイを見て「私は」と書き始めた、「私はというのはどう考えても俺ではないからやはり僕と書くことにした」。とある。しかしこのエッセイは絶対英語には訳せない。どうしてもことばの壁がある。 僕も50過ぎて自分をどう呼ぼうかということは考える。お父さんは子どもが小さいときには、パパと言っている、中学に入って子どもが友達を連れてきた、その前でパパと言うか、恥ずかしい、いきなり私はというのも変だし、結局お父さんはしばらくは主語を削って話すようになるんですよ。こういう気持はアメリカ人にはまずわからない。 日本語に一人称の二人称的用法というのがあります。関西で「われ」という言葉を使いますが「われ」というのは自分のことなのになんで相手に「われ」と言うか。「おのれ」は自分のことなのに相手をさす、これは日本語の特徴で、「うぬ」というのも自分のことだが、「うぬら」はというのは二人称に使っています。 このように「I」と「YOU」に関しては日本語は豊かであって、英語は「I」と「YOU」しかない。これは1対無限大という違いがある。どうしようもない。翻訳はどうあがいてもどうしようもない。しかし、それだけの違いがあっても感動というのは伝わる。翻訳の使命は異文化をきっちり伝える、こんなに違うけれどもしっかり伝えるものがある、その両輪がしっかりついてこそ良い翻訳ができると思って、翻訳を続けています。 |